'01/3/19 mon  僕からの手紙

 3月に入って、東京では雪の日があったりもして、暖かい日と寒い日が入り乱れていたけど、ようやく春の気配に染まってきました。陽射しは柔らかながらも、少しずつ力強さを増していて、ベランダから取り込む洗濯物のさわり心地が、おとずれる春を感じさせますなぁ。

 すっきりと晴れ渡る青空の下、春風の吹きすさぶ中、今日は散歩がてら 多摩川の土手まで歩いてみました。家から30分ほど歩くとたどり着けちゃうんだ。

 多摩川は川崎と東京を分断するように流れている。その姿が雄大というわけではないけれど、岸辺が広く芝で覆われていて、ごちゃごちゃと建物が隣接する東京に住んでいると、何とも言えない落ち着きを与えてくれるように思う。

 そういえば、荒熊は川崎市生まれ。多摩川に ほど近いところで生まれたんだった。3歳のころには横浜市に移っちゃったから、多摩川の思い出はないものの、きっと 親に連れられて多摩川の土手を散歩したりしたんだろうね。
 そうそう。僕が育った横浜市の家も川沿いだった。多摩川ほど大きくもないし、綺麗でもない川だけどね。
 そんなこともあってか、なんとなく、多摩川のほとりに居ると、まるでガキの頃に気持ちが戻ってしまうかのように、安らいでしまうんだな。多摩川の土手は、犬のふんに気をつけないとタイヘンなことになるけどさ。だはは。


 ガキの頃といえば、1985年のつくば万博。15歳の僕は、30歳の僕に手紙を書いたのだ。「ポストカプセル郵便」ってやつ。それが、今年初めに、30歳の僕のところに届いたんだよね。
 まさか、あの頃の僕は、こんな風に ウェブなんてモノで、その手紙のことを書かれるなんて想像もしてなかったんだろうなぁなんて、ニヤニヤしてしまう。

 何とも物覚えがいいことを悔やむべきか、あの頃の僕が30歳の僕に何を伝えたかったか、何を書いたか、だいたいのことは覚えてしまっていたもんで、大きな驚きとか、甘酸っぱい記憶とか、そーいう感動はイマイチなかったんだよね。まぁ、それだけ、僕が変わってないってことで、喜んでいいんだか、どうなんだか。ははは。

 ただ、ひとつだけ、ドキッとしたメッセージがあったんだ。

「自分が満足できる仕事についていてください」

 これには、うなってしまった。

 このメッセージを受けた僕は、ちょうど、自分の仕事に対して変化を求めようと模索しているときだったのだ。なんだか、15年前の自分に、今の自分の気持ちを見透かされているような、不思議な感覚だった。

 と、思う一方で、あの頃の自分には、「○○になっていてください」というような、仕事に対する具体的なビジョンがなかったんだなぁと思い返す。

 いつから、僕は、今の仕事に向かって来たんだろ。自分の来た道は正しかったのかな?
 あの頃の点と、今の点を、頭の中で線に結んでみるものの、何の答えも見つからない。まぁ、自分の選んできたことだから、正しいも何もないわなぁ。

 そのメッセージに背中を押されたというワケでもないんだけど、先週末、仕事に対する変化を求めて、自分を新しい環境に放り込んでみた。それは、僕が、より満足できる仕事をしていくための挑戦。

 15歳の僕の、あのメッセージに答えてあげるならば、

「まだまだ、答えを探してるところだよ」