'01/9/16 sun  ワールドトレードセンター


 この写真は、二年前、荒熊がニューヨークを訪れたとき、撮影したもの。

 夕暮れどき、薄暗くなった空に、街のネオンが輝き始めるそのひととき。ニューヨーク・マンハッタン島の南端に位置するワールドトレードセンター(世界貿易センター)の屋上展望台から、この写真を撮ったんだ。

 考えてみると、観光客としてあのタワーを訪れていた僕だって、ただ時期が違っていただけで、あのおぞましい事件に巻き込まれる可能性は皆無ではなかったのだ。

 飛行機がビルに吸い込まれるように衝突する映像。燃え上がっていたビルが崩れ落ちてしまう映像。崩れるビルから発せられる瓦礫(がれき)を含んだ煙が人々に襲いかかる映像。

 僕は、その映像をほぼリアルタイムに、テレビ画面を通して見ていた。

 不謹慎ながら、「その映像自体が異常なものである」という感覚が薄かった。まったく初めて見る類の実映像なのに、すでに見慣れているもののように感じてしまっているんだ。

 バーチャル映像と現実の映像の間に、ディテールを含めた「差」が小さくなっていることは、事実としてあると思う。だけど、僕は、まさかこんな事件で、「バーチャルに対する感覚」と「現実のできごとに対する感覚」が、こんなにも区別できなくなっていることに気づかされるとは思いもしなかった。

 僕は、しっかり区別できているつもりだった。でも、できていなかったんだ。

 だから、僕は少し不思議な思考をしていた。「これはバーチャルじゃない、現実なんだ」と、繰り返し理解する努力をしていたように思う。そうやって理性的な判断を強いられると、ますます心が痛くなってきた。何が原因で、何が目的で、何が結果で、何を得たのか。

 (総論的で語弊があるかもしれないけど、) 何らかのことが意図されて起こるとき、それは、誰かの幸せのために起こっているんだと思う。

 幸せの形はいろいろある。だから、きっと、この事件も。

 僕は、犠牲の反動で幸せが生まれることを悔やみたい。いや、それを幸せだと感じる人々が居ることを、悲しく思う。


 今回の衝撃的な事件を目の当たりにして、二年前の旅の思い出が唐突に呼び起こされてしまった。

 あのときの思い出をひとつひとつ思い起こしながら、数々の写真を見返してみた。すると、ワールドトレードセンターが写っているものが何枚もありました。

 そこに、確かにあのビルがあったんだという記録として、いくつか掲載しておきます。

 掲載することに意味をもてるのかどうかよく分かりませんが、あの場所へ訪れたことのある僕としての、ひとつの気持ちをこめて。






 今回の事件で犠牲としてお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。ケガなどをされた方々の早い回復を願っています。