'02/2/11 mon  横浜ドリームランド

 荒熊が育った横浜には「横浜ドリームランド」という遊園地があるんだ。

 「横浜」と言っても、みんながイメージする海沿いの辺りではなくて、横浜市の南西、藤沢市との境に程近い場所にあります。荒熊がガキのころに住んでたところからは そこそこ近いところにあったので、よく遊びに行ったもんでした。

 1964年に開園した横浜ドリームランド。

 1979年には「シャトルループ」という 当時日本ではまだめずらしいループコースターが登場するなどして話題を集めたりしてました。確か「日本初」だったんじゃないかなぁ。当然、荒熊もすぐに乗りに行って、今でいう「絶叫マシーン」の先駆け的存在をいち早く楽しんだもんです。

 開園から37年。横浜ドリームランドは、来週の 2月17日(日)を最後に閉園することになってしまいました。

 開園した1964年は東京オリンピックの年。当時は、まだまだ日本経済は発展途上で、「横浜ドリームランド」のような遊園地が脚光をあびる存在だったんだろうけど、さすがに今のように交通機関が発達して、「東京ディズニーランド」や「ユニバーサルスタジオ・ジャパン」や、ともすると海外のテーマパークにだって簡単に行けてしまうようになると、「横浜ドリームランド」のような小さな遊園地の来場者が減ってしまうのはやむを得ない事態だったんでしょう。


 そんなワケで、荒熊には思い出深い遊園地「横浜ドリームランド」に、昨日行ってきました。高校生のころに友達と行って以来だから、15年ぶりくらいになるんだなぁ。

 一緒に行ったのは、その15年前に一緒に行った友達。あのころとおんなじ。

 横浜ドリームランドに入ると、終わってしまう遊園地とは思えないくらいの人がたくさん来場していました。僕らのように、閉園を惜しむ人たちが押しかけているんだろうな。

 辺りを見回しても、不思議と「なつかしさ」なんてモノはないんだよね。アトラクションが少し増えているものの、あのころとあまり変わっていない情景に、気持ちもあのころに戻ったみたいで。

 園内をぐるっと一周。園内に入ったのがもう夕暮れどきだったもんで、辺りはすっかり暗くなってきました。日が落ちてからの遊園地はとても幻想的で、終わってしまうさびしさをいっそう強く感じてしまった。


 最後の思い出にと、観覧車に乗ることにしました。横浜ドリームランドの観覧車は「ワンダーホイール」という名前がついていて、「ゆれないゴンドラ」と「ゆれるゴンドラ」が選べるようになっているという、多分 ほかの遊園地にはないんじゃないかというクセモノなのです。

 「ゆれるゴンドラ」というのは、観覧車のゴンドラの軸が固定されていなくて、観覧車が1周する間に2回、激しい揺れがゴンドラを襲うというギミックが仕込まれているのだ。

 「ゆれるゴンドラ」の観覧車の順番待ちがかなり長い列だったもんで、友達に並んでおいてもらって、思い出の「シャトルループ」に ひとりで乗りに行きました。実は荒熊は、いわゆる絶叫マシーンは大好物なのであります。ぬはは。

 シャトルループは、15分くらいの待ちで乗れました。一気に加速するその感覚と、「塔」の部分で起こる一瞬浮き上がるような感覚が、あのころとちっとも変わってない。

 このシャトルループも、もう二度と乗れないんだね。

 観覧車の列に戻って、順番待ち役を友達と交代したりしたんだけど、なかなか列が進まないんだよ。手足が凍ってしまうんじゃないかと思うほどの寒い夜、午後6時からずーっと並んでたんだけど、ようやく観覧車に乗れたのは なんと 午後10時!

順番待ちは 4時間におよんだのだ!

 4時間だなんて、ディズニーランドの人気アトラクションだって、そんなに待ったりしませんわな。

 閉園時間は 午後7時30分だったんだけど、順番の列に並んでいる人だけは、最後まで乗せてくれたのでした。4時間も待つ僕らも僕らだけど、午後10時にもなってまだ営業してくれた横浜ドリームランドのスタッフの皆さんに感謝、感謝。

 ホントにホントに 良い思い出ができました。


 こうやって、思い出の場所がひとつひとつ消えていってしまうのは、ホントにさびしい。でも、また新しい思い出の場所をつくっていくサイクルに、そういうさびしさを伴うのは仕方のないことなんだろうね。

 横浜ドリームランド。ありがとさんでした。おつかれさんでした。