'01/9/30 sun  将来なりたいもの

 9月も終わりをむかえ、東京では半そでシャツで外に出ると少し肌寒かったりしますな。透き通る空の青さを仰ぎつつ、荒熊の好きな秋の訪れを実感しております。

 さてさて、昨日はそんな秋空の下、新宿での飲み会に出かけたんだけど、8年くらい会っていなかった知り合いM氏が来ていて、昔と変わらずのその熱いトークを堪能してしまった。

 M氏曰く、

「くまさんは 相変わらずくまさんなんだなぁ。
くまさんだってところが 全然変わってなくて、
なんか くやしいんだよな。」

(荒熊は「くまさん」と呼ばれたりします。)

と、なにやら言いたいことが 分かるような分からないような、不条理な軽い非難をあびてしまった。さらには、まわりの人までが、「それ、わかる、わかる」って。 んー。

 僕に言わせれば、M氏こそ 8年もの時の経過を感じさせない相変わらずの熱さで、くやしいというよりは嬉しかったなぁ。

 続けざまに、M氏は、僕のことを、

「くまさんはハッシンだからなぁ。」

 ん?ハッシン?

 M氏に映る僕は、「受信」ではなく 「発信」なのだそうだ。

「幼稚園とか小学生の頃に、
『将来は何になる?』っていう枠に、
何か書かされたりしたよね。」


「あれ、30代になった今、
もう一度書いてみたいと思わない?」

 あぁ、なるほど。幼稚園児だったり小学生だったりした僕よりも、今現在の僕の方が、もっと現実的にもっと夢のある将来像を書けたりするのかもしれないし、僕はそれに向かって まだまだチャレンジしていかなきゃいけないんだよなということを、あらためて思い起こさせられてしまう。

 だいたい 僕は、小学生のころ、文集にありがちな「40年後の僕は何になっている?」という問いに、

「52歳になってる」

などというつまらないことを書いたことがあった。その頃の僕の客観的な表現として、幼い思考ながらも、「ビジョンもないのに見え透いた嘘を書いたりしない」という意固地さが そうさせたんじゃないかと思うのだ。
(ただ単に 幼かっただけのことかもしれんのだが。わはは。)

 今だったら、僕はもっと素直な気持ちで 将来を描けるんだろうな。

 じゃぁ、そんな「枠」を目の前にしたら、今の僕は何を書くんだろう。

「くまさんは、モノ書きになりたいでしょ。
やれば、なれるんじゃないの?
いや、なってほしいなぁ。」

 あぁ、M氏ったら、こんな挑発まで。

 しっかし、くやしいくらいに、当たってます。モノ書き、なりたかったりします。まぁ、モノ書きに限らず、何かを表現すること。そして、それで生計を立てるってのは、僕の憧れだったりするんですわ。

 今年の春先、3/19の雑記「僕からの手紙」に書いたように、僕のこれからについては、僕はまだまだ答えを探しているところなのだ。

 僕は きっと「保険」を考えてしまっているんだと思うんだな。今の僕にとって「安定」と「チャレンジ」とは、トレードオフだったりするわけで、仮に 生活の「安定」をキープできる裏づけがあるんだったら、僕はその「安定」にあぐらをかかず、もっともっといろんなことにチャレンジしてしまうんだろう。

 結局は「保険」がないことで二の足を踏んでいるっつーことなんだよね。それではいかんのだ、ということを再認識してしまったなぁ。

「くまさんなら、田口ランディくらいになれるでしょ。」

 .... そ、そこまで具体的に指定しなくても...。

 少なくとも、僕は、まだまだいろんなことにチャレンジしたいと思っているんだ。だから、これからも探していくし、求めていこうと思う。

 せっかくなので、ここでも、いろんなチャンスを募集しときますか。

 「こういうのはどう?」とかいう 僕が食らいつきそうな話は転がっていませんか?

「荒熊に任せるから、好きにやって。
生活は保障しますよ」

なんてのはサイコーですな。 ま、そこまでうまい話じゃなくてもよいですが。わはは。

 えぇ、なんだか、他力本願的なことを書いちゃってますが、まぁ、チャンスはいろんなところにあるんだろうし、結局は、出会わなければ始まらないわけなので、何かあれば ぜひぜひご連絡をください。

 てなことで、今日のコラムは M氏の発言をきっかけにした、突然の自己アピールみたいになってしもた。だははは。