'02/2/10 sun  ソルトレイクオリンピック

 いやぁ、始まりましたなぁ。ソルトレイクオリンピック。毎度ながらに注目している開会式、今回もテレビ画面に食い入るように見つめてました。

 でも、残念なことに、今回の開会式はあまり荒熊の琴線にふれることがなかったんですわ。

 2000年のシドニーオリンピックの開会式は、「民族」を強く意識させられるものだったんだよね( '00/9/16の荒熊雑記 )。 世界中の「民族」を意識し区別し調和を求める、そんなテーマを強く感じるものだった。

 今回のソルトレイクオリンピックの開会式から強く感じたものはなんだろう。開会式を通じて、訴えかけてきたテーマはなんだろう。

 僕は、それが 「アメリカ」 だと感じたんだな。

 もちろん、昨年9月11日のことを取り上げたのはいいと思う。期せずしてオリンピック開催国アメリカで起こった惨事。「世界」という漠然とした概念が受けた傷を、「世界」という漠然とした概念が癒していかなければならない。その原動力は世界中の人々でしかないことを謳う。

 でも、方向性は少し違った。訴えかけてくるものは「世界」ではなく「アメリカ」だったのだ。

 その印象は、開会式のセレモニー全体を通じて感じるものだったなぁ。聖火の最終点火者が誰だったかということに、そのことはもっとも象徴されていたと思う。

 その良し悪しは、当然ながらそれぞれの人の主観に頼るところなんだろうけど、少なくとも僕は、「世界」が期待している方向とは少し何かがずれてない?という感覚を持ったなぁ。

 まぁ、「オリンピック」の開会式にテーマ性を求めること自体が、本質的にはおかしなことかもしれないけどね。